マルコの福音書第4章1~9章

マルコの福音書第4章1~9節

「聞く耳のある者は聞きなさい」

只今、お聴きした聖書に記されていた「種を蒔く人のたとえ」と呼ばれる話は、キリストがお語りになったたとえ話のなかでも良く知られ、また親しまれてきたたとえの一つではないかと思います。なぜ親しまれるようになったかといえば、それはこのたとえ話のわかりやすさにあると思います。ですからこのたとえ話は教会学校でも必ずと言ってよいくらいにとりあげられます。子どもにでもわかるわかりやすさがある。いや、かえって子どものほうが想像力を働かせて生き生きとこの話しを聞きとるかもしれません。

――お百姓さんが蒔いた種が「道端」に落ちました。するとそこに鳥が飛んで来て、その鳥に種は食べられてしまいました……。こんなふうに語られた話しを子どもであれば――あーぁ、とため息をつきながら聞くでしょう。

――「土の薄い岩地(石だらけで土の少ない)」に落ちた種がありました。その種は直ぐに芽を出したのですが、太陽が昇ると根っこが十分に伸びることができないために枯れてしまいました。それを聞いた子どもは――なーんだ、また駄目か、と残念そうな顔をする。そして「茨の中」に落ちた種の番になると、子どものほうが先回りをして予想を立てたりしているかもしれません。――どうせ今度も駄目だろう……。その通り、茨の中に落ちた種は芽を出して伸びようとしたけれども、茨に遮られて結局実を結ぶことができません。

「道端」でもない、「土の薄い岩地」でもない、「茨の中」でもない「良い地」に落ちた種は、すくすくと成長して30倍、60倍、100倍の実を結びました。

こんなふうに実際に、このたとえ話しを教会学校で子どもたちに語ったことがあります。この最後の実を結んだ種の話しになると、子どもたちも、やれやれ良かったとホットしたような顔で聞いていた様子を思い出します。このように、このたとえ話そのものは至って分かりやすい、蒔かれた種がどうなったか、という、ただそれだけの話です。この話にどういう意味があるのかについては13節以降に記されています。この箇所は次回、読むことにしているので、たとええ話の意味についてもその時に受けとめたいと思います。そして今朝は、たとえ話の意味そのものではなくて、キリストの語られたたとえを聴く、その聞き方について学んでまいりたく思います。

先ほどから申しあげている通り、ここでキリストがお語りになっているたとえそのものは、子どもでもわかる話しです。その話をキリストは語り始めるに当たって「よく聞きなさい」と言っておられます。

「よく聞きなさい」と言われるからには、何か難しい話をなさるのだろうかと注意深く耳を傾けてみたら何のことはない、子どもにでも分かるような話をキリストはなさったのです。そして、その話しが終ったところで「聞く耳のある者は聞きなさい」とも言われました。こうしてキリストは、ご自分の語る話しの聞き方について語りかけておられるのです。

キリストがこの時おっしゃった「よく聞きなさい」とは……

――おしゃべりをやめて静かに黙って聞きなさい、というようなことではありません。

――わたしが語る話を、理解できるようにしっかりと聞きなさい、ということでもない。

そういう、相手の話をきちんと聞いて理解するようにという意味で「よく聞きなさい」とキリストは言われているのではないのです。そうではなくて、

――わたしが語る話が、あなたにとって、どういう意味があるか、そのことを考えながらよく聞きなさい、ということなのです。

「聞く耳がある者は聞きなさい」ということも、

――あなたの耳は、ちゃんと聞こえるでしょう、ならば、その耳でよく聞きなさい、ということではない。――私の話に耳を傾ける気持ちがある人は聞きなさい、ということでも足りない。

キリストはこうおっしゃっておられるのです。

――いろいろな場所に蒔かれた種がそれぞれにどういう結果になったか。この種は、あなた自身のことをあらわしているのだから、聴いた種の話しを自分に当てはめる聴き方をして欲しい。そういう思いを込めてキリストは「聞く耳がある者は聞きなさい」と言われているのです。

また、ここでキリストがおっしゃっている「聞きなさい」という言葉は、「聞き続けなさい」と訳すことのできる原文の言葉が使われています。一度、聞いて「はい、わたしは確かに聞きました」と言って済ますような聞き方ではなくて、聞き続けるのである。一度聞いた言葉なり話しを何度も思い出しながら、心のなかで聞き続ける。そういう聞き方をキリストは私たちに勧めておられます。このことで思い出したい旧約聖書の言葉があります。詩篇第1篇です。

主の教えを喜びとし 昼も夜も その教えを口ずさむ人。

その人は 流れのほとりに植えられた木。

時が来ると実を結び その葉は枯れず

そのなすことはすべて栄える。

 「口ずさむ」という言葉の原文には「思いめぐらす」という意味があります。キリストが語られました「聞きなさい」ということも、それは主の教えを一度聞いて終わりというのではなくて、その主の教えが自分にとってどういう意味があるのか、そのことを思いめぐらしながら、主の教えを受けとめるのです。それが「聞く耳のある者の聞き方」ということになります。

そして、そういうみ言葉の聞き方をする人のことをキリストは今朝の聖書で良い地に落ちて芽生え育ち、30倍60倍100倍の実を結んだ」種としてたとえておられる。これと同じように、詩篇第1篇の作者は「その人は 流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結び その葉は枯れずそのなすことはすべて栄えるその人は流れのほとりに植えられた木。ときがめぐり来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす」と歌っているのです。

繰り返すようですが、今朝のたとえ話しの内容は実に分かりやすい。その意味についても、13節以下の説明を読んでみると難しいことはなにもありません。分かりやすい。しかし、この分かりやすい、といことが実は注意しなければならないことなのです。このキリストのたとえとその意味を聞いて

――ああ、良くわかりました。このたとえ話しの意味もよく分かりました、というふうに〈分かった〉ということでで終ってしまいやすいのです。ここが気をつけなければいけないところなのです。

――このたとえ話しに出てくる種、この種のどれに私は当てはまるだろう……。わたしが良い土地に落ちた種のようになるためにはどうしたらよいのだろう…… そんなふうに、キリストのたとえ話しと自分を結びつけて考えてみること、そうしたみ言葉の聞き方へと、キリストは私たちを招いて「よく聞きなさい」「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われているのです。

「時報」の最新号に集会報告が掲載されています。そうした報告を読んでいると、講師の先生が分かりや

すく話をして下さった、という意味のことが書かれているのを読むことがあります。この「分かる」ということで思い出すエピソードがあります。

ヨーロッパの歴史を専門にしておられる阿部謹也(歴史学者 ドイツ中世史専攻 一橋大教授)という先生が書いた「自分の中に歴史を読む」という本のなかでこういうことを言っておられるのです

「分かるということは、それによって自分が変わるということです」

ヨーロッパの歴史を単なる知識として分かる、という分かり方があるでしょう。しかし、それだけではなくて、その歴史のなかにある意味について、ああ、こういうことなのか! と分かった時、その分かるという体験は、その人の生き方や性格にまで影響を及ぼすものになると阿部先生は言うのです。

それは言い換えれば、分かりやすい話を聞いた。よく分かった。と言いながら、自分は何も変わろうとしない。生活に何も変化は無い。とすれば、それは本当に分かったといえるのだろうか。単なる知識として受けとめたに過ぎないのではないかということです。

今日、私たちが手軽に聖書を持つことができるようになっていることは、私たちがみ言葉に親しむために必ずしもプラスに働いているとは限らないのではないかと思うことがあります。

マルコの福音書が書かれた時代、人々は、キリストのこのたとえ話しを聖書で読んだのではありません。まだ新約聖書そのものがなかった時代です。当時の人々は、このキリストのたとえ話を説教者の語る説教を通して聞いた。そこからしか知ることができなかったのです。だから説教者の語る言葉を忘れないように、一所懸命に聴いた。そしてそれを理解し、受けとめるために語り合ったりもしたでしょう。そのような初代教会のキリスト者たちのみ言葉に対する真剣な受けとめ方が、マルコの福音書という書物を産んでいるとも言えるのです。

ルターの時代、一般の民衆にとって聖書は高価で買えませんでした。また10人に一人しか字が読めなかった。だから誰かが聖書を持っていて、そこに字が読める人がいたならば、そこに人々は集まってきて、朗読される聖書の言葉に耳を傾けた。聴く耳をもって聴いたのです。聴き続けたのです。

「聞く耳のある者は聞きなさい」。

これはキリストによる招きの言葉であり、同時にキリストによるご命令でもあります。何のために招かれるのか、どうして命令されるのか。私たちが毎日聖書を読むクリスチャンになるためでしょうか。それが目的ではありません。私たちが30倍、60倍、100倍の実を結ぶことをキリストは期待してくださっているからです。だからこそキリストは言われるのです。「聞く耳のある者は聞きなさい」

                            (2021年11月7日三位一体後主日礼拝)

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